9月9日は「重陽(ちょうよう)の節句」。ひなまつり(上巳)や端午の節句と並ぶ五節句のひとつでありながら、現代ではすっかり影が薄くなってしまった行事です。しかしこの日には、菊の花びらを日本酒に浮かべて飲む「菊酒(きくざけ)」という、なんとも風流な風習が今も一部で受け継がれています。
今回は、重陽の節句と菊酒の由来から、自宅で気軽にできる菊酒の作り方、「菊」の名を冠した日本酒銘柄、行事食との合わせ方、そして「ひやおろし」「秋あがり」との違いまで、この時期ならではの日本酒の楽しみ方をまとめて解説します。
そもそも「重陽の節句」とは?
重陽の節句は、奈良〜平安時代に中国から伝わった五節句(人日・上巳・端午・七夕・重陽)のひとつです。なぜ数ある行事の中でも菊とお酒が主役になったのか、その背景を3つのポイントで見ていきましょう。
① 「陽(奇数)」が重なる最大の吉日
古代中国の陰陽思想では、奇数は「陽」の数とされ縁起が良いものとされました。なかでも一桁の最大奇数である「九」が重なる9月9日は、陽の気が最も強まる日として特別視され、江戸幕府によって公式な式日(節句)に定められました。
② 不老長寿を願う「菊水伝説」
中国では古くから菊が優れた薬効を持つ植物として重んじられ、4世紀頃の書物には「菊の群生する谷を流れ下る水を飲み続けた村人が皆長寿を得た」という菊水伝説が記されています。この伝説が、菊を浮かべた酒=不老長寿の薬酒という発想の源になったといわれています。
③ 平安宮中の「菊花の宴」
日本に伝来したのは平安時代。宮中では菊の花を愛でながら詩歌を詠み、菊酒を酌み交わす「菊花の宴(重陽の宴)」が催されました。江戸時代には武家や庶民にも広がり、栗ご飯を食べる「栗の節句」としても親しまれるようになります。
▲ 平安貴族たちが菊を愛でながら酒を酌み交わした「菊花の宴」(イメージイラスト)
見どころ①:自宅でできる「菊酒」の作り方
菊酒と聞くと特別な準備が必要に思えますが、作り方はいたってシンプルです。用意するのは「食用菊」と、お好みの日本酒だけ。花屋の観賞用の菊は農薬などの問題で食用に適さないため、必ずスーパーや直売所で「食用菊」として販売されているもの(もってのほか、阿房宮など)を選びましょう。
▲ 盃に浮かべた菊の花びらが、ふわりと香りと彩りを添えてくれる
- 花びらを浮かべる方法:食用菊の花びらを摘み取り、さっと水で洗ってから盃に3〜5枚ほど浮かべるだけ。飲む直前に浮かべるのがポイントで、香りが立ちすぎず上品な仕上がりになります。
- 花ごと漬け込む方法:食用菊を丸ごと(またはガクを取って)徳利や瓶に入れ、日本酒に一晩ほど漬け込む方法。菊の香りがしっかり酒に移り、より本格的な「菊酒」らしい味わいになります。
🍶 菊酒に向くお酒の選び方
菊酒に使う日本酒は、香りが穏やかなタイプがおすすめです。吟醸香の強い大吟醸などを使うと、菊本来の繊細な香りが酒の香りに負けてしまいます。純米酒や本醸造酒のような、米の旨みを感じる落ち着いた酒質のほうが菊の風味と調和しやすく、常温〜ぬる燗にするとさらに香りが引き立ちます。
なお、重陽の節句の前夜(9月8日)には、綿を菊の花にかぶせて夜露と香りを移し、翌朝その綿で肌を清める「着せ綿(きせわた)」という風習もあります。菊酒とあわせて、秋の夜長に日本の伝統的な美意識に触れてみるのも一興です。
見どころ②:「菊」の名を持つ日本酒銘柄特集
日本酒の銘柄には「菊」の字を冠したものが数多くあります。実は、その由来は蔵ごとにまったく異なります。重陽の節句のタイミングで、代表的な4銘柄の由来とスペックを見てみましょう。
菊正宗(兵庫県神戸市・菊正宗酒造/1659年創業)
灘を代表する銘醸。もともとは「正宗」のみの酒銘でしたが、同名の酒が全国に乱立したため、明治19年(1886)の商標登録にあたり「菊」を冠して差別化したのが「菊正宗」の由来です。名刀正宗のような切れ味のよい辛口を目指したという逸話も残ります。超特撰 しぼりたて純米大吟醸は精米歩合50%、華やかな果実香とキレのある淡麗辛口が特徴です。
▶ 菊正宗 超特撰 しぼりたて純米大吟醸 720ml(精米歩合50%・参考価格1,771円)を見る菊姫(石川県白山市・菊姫合資会社/安土桃山時代創業)
酒銘は、白山比咩(しらやまひめ)神社の御祭神「菊理媛(くくりひめ)」と、菊酒伝説にあやかって名付けられました。兵庫県吉川町特A地区産の山田錦を用いた濃醇旨口が持ち味で、初心者にも飲みやすい「先一杯(まずいっぱい)」は精米歩合65%、じっくり燗をつけても崩れない骨格のある味わいです。
▶ 菊姫 純米酒 先一杯 1800ml(精米歩合65%・参考価格2,640円)を見る菊水酒造(新潟県新発田市/1881年創業)
代表銘柄「ふなぐち菊水一番しぼり」は、酒槽(ふね)の口から流れ出たしぼりたての生原酒を、日本初の缶入り生原酒として1972年に商品化したロングセラー。精米歩合70%の本醸造生原酒で、キャンプや行楽シーンでも人気です。蔵の名は新発田藩ゆかりの菊の紋にちなむと伝わります。
▶ 菊水 ふなぐち一番しぼり 200ml×選べる容量(精米歩合70%)を見る菊勇(神奈川県伊勢原市・吉川醸造)
大山(雨降山)の伏流水を仕込み水に使う神奈川の地酒。丹沢山系の水を活かした柔らかな味わいで、地元の酒販店や道の駅を中心に流通しています。
同じ「菊」でも、商標戦略から生まれた菊正宗、神話に由来する菊姫、地域の紋にちなむ菊水と、それぞれの物語がまったく異なるのが面白いところ。重陽の節句には、あえて「菊」の名を持つ銘柄を飲み比べてみるのもおすすめです。
見どころ③:重陽の節句の行事食×日本酒ペアリング
重陽の節句は別名「栗の節句」とも呼ばれ、栗ご飯を食べる風習があります。また「くんち(九日)に茄子を食べると中風にならない」という言い伝えから秋茄子を食べる地域も。これらの行事食に合わせたい日本酒のタイプを紹介します。
▲ 栗ご飯・秋茄子・食用菊のおひたしは、重陽の節句の代表的な行事食
栗ご飯には「ふくよかな純米酒」
栗の優しい甘みとほくほくした食感には、米の旨みがしっかり感じられる純米酒や山廃系の純米酒がよく合います。淡麗辛口よりも、やや濃醇なタイプを常温かぬる燗で合わせると、栗の甘みと酒の旨みが引き立て合います。
秋茄子の焼き浸しには「キレのある本醸造・辛口」
油を吸ってジューシーになった秋茄子には、後味のキレが良い本醸造酒や辛口純米酒がおすすめ。冷や(常温)でさらりと合わせると、茄子の油分を酒がすっと洗い流してくれます。
食用菊のおひたしには「香り穏やかな吟醸酒」
食用菊の王様と呼ばれる「もってのほか」のおひたしには、菊の風味を邪魔しない、香り穏やかな吟醸酒や純米吟醸酒を合わせるのが上品です。そのまま盃にひとひら菊を浮かべれば、料理と酒の両方で菊を味わう贅沢な組み合わせになります。
菊酒の雰囲気をより楽しむなら、酒器にもひと工夫を
▶ 柳宗理デザイン 脚付き清酒グラス(65ml/125ml)を見る見どころ④:「菊酒」と「ひやおろし・秋あがり」はどう違う?
9月は「ひやおろし」「秋あがり」という言葉もよく目にする時期で、菊酒と混同されがちです。しかし両者はまったく別のものを指します。
菊酒は、重陽の節句にちなんだ「飲み方・風習」の名称で、酒の種類やスペックとは無関係です。純米酒でも大吟醸でも、菊を浮かべればそれは菊酒と呼べます。一方「ひやおろし」「秋あがり」は、冬から春にかけて搾った新酒を一度火入れし、夏の間ひと夏かけて蔵でじっくり熟成させ、二度目の火入れをせずに「冷や(常温)」のまま出荷する、酒質・出荷方式を指す言葉です。まろやかに角の取れた味わいが特徴で、こちらも9月ならではの日本酒として各蔵から続々とリリースされます。
つまり「ひやおろしを、盃に菊を浮かべて菊酒として飲む」という組み合わせも十分にありえるわけです。ひやおろしについてさらに詳しく知りたい方は、以下の記事もあわせてご覧ください。
ひやおろし・秋あがりについてはこちら
▶ 「ひやおろし」とは?解禁時期とおすすめ銘柄・選び方完全ガイド重陽の節句によくある質問
Q. 重陽の節句は2026年もやはり9月9日ですか?
はい。重陽の節句は「9月9日」に固定された行事のため、2026年も9月9日に行われます。旧暦の名残から、地域によっては1ヶ月遅れの10月9日頃に「後の重陽」として祝う場合もあります。
Q. 菊酒に使う菊は、花屋で売っている観賞用の菊でもいいですか?
観賞用の菊は栽培の過程で食用を想定していない農薬が使われている場合があるため、口にするのは避けてください。スーパーや直売所で「食用菊」として販売されているもの(もってのほか、阿房宮など)を使うのが安全です。
Q. 菊酒とひやおろし・秋あがりはどう違うのですか?
菊酒は「菊を浮かべて飲む風習」の呼び方で、酒の種類は問いません。ひやおろし・秋あがりは「夏を越して熟成させた酒を二度目の火入れをせずに出荷する」という酒質・出荷方式を指す言葉で、両者は別の軸の言葉です。ひやおろしを菊酒として楽しむこともできます。
Q. 菊酒に使う日本酒は、どんなタイプを選べばいいですか?
香りが控えめな純米酒や本醸造酒がおすすめです。吟醸香の強い大吟醸酒だと、菊の繊細な香りが酒の香りに埋もれてしまいやすいため、あえて香りが穏やかなタイプを選ぶと菊の風味を楽しめます。
Q. 「菊」の名がつく日本酒には、菊正宗や菊姫以外にどんな銘柄がありますか?
代表的なものとして、新潟県新発田市の菊水酒造(銘柄「ふなぐち菊水一番しぼり」)、神奈川県伊勢原市の吉川醸造(銘柄「菊勇」)などがあります。地域や蔵ごとに「菊」の由来が異なるのも面白いポイントです。
Q. 重陽の節句に栗ご飯を食べるのはなぜですか?
重陽の節句は江戸時代の庶民の間で「栗の節句」とも呼ばれていました。栗ご飯はもともと秋の収穫祭で食べられていた祝い膳で、それが重陽の節句の行事食としても定着したとされています。
まとめ:9月9日は、盃に一輪の菊を浮かべてみませんか
重陽の節句は、五節句の中でも今や最も忘れられがちな行事かもしれません。しかし、平安の昔から受け継がれてきた「菊酒で不老長寿を願う」という風習は、特別な道具も準備もいらず、食用菊とお気に入りの日本酒さえあれば今夜からでも楽しめます。
「菊」の名を持つ銘柄を選んでみる、栗ご飯や秋茄子と一緒に味わう、あるいはひやおろしを盃に注いで一輪浮かべてみる——。9月9日の夜は、いつもの晩酌にほんの少し季節の彩りを添えて、秋の始まりを乾杯で迎えてみてはいかがでしょうか。



