「この日本酒、メロンみたいないい香りがする!」「こっちは爽やかな青リンゴのよう」
お米と水だけで造られているはずの日本酒から、なぜフルーツのような華やかな香りが生まれるのでしょうか?その最大の立役者であり、現代の日本酒の味わいをデザインする上で最も重要な要素が「酵母(こうぼ)」です。
本連載では、3回にわたって日本酒の味わいを支配する「酵母の世界」をディープに解説します。第1回となる今回は、酵母が香りを生み出す科学的なメカニズムと、日本酒業界の絶対적スタンダードである「きょうかい酵母(協会酵母)」の歴史、 Sheltonそして代表的なレジェンド酵母たちを丁寧に紐解いていきます。
そもそも「酵母」は何をしている?香りの正体とは
酵母菌(イースト菌)は、自然界に存在する目に見えない単細胞の微生物です。酒造りにおける酵母の役割は、大きく分けて以下の2つがあります。
① 糖を食べて「アルコール」を生み出す
日本酒造りでは、まず「麹(こうじ)」がお米のデンプンを分解して甘い「糖」を作ります。酵母はその糖をパクパクと食べ、アルコールと炭酸ガスを吐き出します。これがアルコール発酵です。酵母の力が弱ければ発酵が途中で止まって甘ったるいお酒になり、強すぎればキレの辛口になります。
② 副産物として「華やかな香り(吟醸香)」を生み出す
酵母が過酷な環境下(低温など)で糖を食べる過程で、ストレスから様々な「香り成分」を放出します。これが吟醸香(ぎんじょうか)と呼ばれるフルーツ香の正体です。吟醸香は大きく2つの成分に分けられ、使う酵母の種類によってどちらが強く出るかが決まります。
- リンゴ・メロン系(カプロン酸エチル): 非常に華やかで、パッと花開くようなフルーティーな香り。近年の純米大吟醸や鑑評会出品酒の主流です。
- バナナ・洋梨系(酢酸イソアミル): 落ち着きがあり、お米のふくよかな旨味とも調和しやすい穏やかな香り。食中酒に多く見られます。
※同じ酒米・同じ仕込み水を使っても、酵母を変えれば「リンゴの香りのお酒」にも「バナナの香りのお酒」にもなるのです。
全国の蔵元を救った「きょうかい酵母」の誕生
日本酒の裏ラベルに「使用酵母:協会9号」などと書かれているのを見たことはありませんか?
明治時代まで、酒蔵は空気中や蔵の壁に棲みついている野生の酵母(蔵付き酵母)でお酒を造っていました。しかし、自然任せの酵母は機嫌が変わりやすく、発酵が止まってお酒が腐ってしまう「腐造(ふぞう)」が頻発し、酒蔵にとって死活問題でした。
そこで明治37年(1904年)、国の機関が中心となり「全国の品評会で優秀な成績を収めた酒蔵から、最も優良な酵母を採取・純粋培養し、全国の酒蔵へ安全に配ろう」というプロジェクトが始まりました。これが現在の公益財団法人日本醸造協会であり、ここからアンプル(小瓶)に入れられて頒布される酵母を「きょうかい酵母」と呼びます。
▲ 東京・赤羽(滝野川)の日本醸造協会に展示されている「きょうかい酵母」のサンプル。このように純粋培養された酵母がアンプルに入れられ、全国の酒蔵へと届けられます。
この仕組みにより、全国の酒蔵は安定して高品質なお酒を醸造できるようになり、日本酒の歴史は飛躍的に進化しました。
💡 マメ知識:9号と「901号」の違いは?(泡なし酵母)
通常、酵母が発酵する際は大量の「泡」が発生し、タンクから溢れそうになります。蔵人は夜中も泡を消す作業(泡消し)に追われていました。
しかし昭和の時代、突然変異で「発酵力や味は同じなのに、泡を出さない酵母」が発見されました。これによりタンクの容積ギリギリまで仕込めるようになり、労働環境も劇的に改善。現在、きょうかい酵母の末尾に「01」が付くもの(例:901号、1801号など)は、すべてこの「泡なし酵母」を意味しています。
【プロも暗記】日本酒の歴史を創った「きょうかい酵母」6選
現在も現役で活躍し、現代の日本酒を語る上で絶対に欠かせないレジェンド酵母から、最新トレンドの酵母までを丁寧に解説します。
きょうかい6号酵母(新政酵母)
▶ 香りの傾向:非常に穏やかなバナナ系 / 寒冷地に強い強健な発酵力
現在日本醸造協会から頒布されている中で、現存する最古の酵母です。秋田県の銘醸蔵「新政(あらまさ)」の醪(もろみ)から採取されました。寒冷地での低温発酵でも元気にアルコールを生み出す強健さがあり、東北地方を中心に酒造りの安定化に多大な貢献をしました。
香りは非常に穏やかで落ち着いていますが、酸味が少なく、深く澄んだ味わいを引き出します。現在、発祥蔵である新政酒造では、原点回帰として全商品をこの6号酵母のみで醸しています。
きょうかい7号酵母(真澄酵母)
▶ 香りの傾向:程よいバナナ・メロン系(酢酸イソアミル) / 抜群の安定感
長野県の銘酒「真澄(ますみ)」の蔵から発見された、戦後の日本酒高度成長期を支えた大功労者です。発酵力が極めて旺盛で失敗が少なく、普通酒から純米酒、吟醸酒まで幅広く使えるまさに「万能酵母」。
派手すぎない華やかさと、お米のふくよかな旨味、程よい酸味を引き出すため、料理に寄り添う「食中酒」を造る上で現在でも全国の酒蔵から絶大な信頼を集めています。
きょうかい9号酵母(熊本酵母)
▶ 香りの傾向:気品あるリンゴ・洋梨系 / 吟醸酒の金字塔
熊本県の県立醸造研究所(現・香露を醸造する熊本県酒造研究所)で分離された、日本酒の歴史を変えた酵母です。「YK35」と呼ばれる全国新酒鑑評会における金賞受賞の黄金方程式(Y=山田錦、K=熊本酵母、35=精米歩合35%)の一角を担い、長年にわたり吟醸酒造りの絶対的エースとして君臨しました。
華やかでありながら決して主張しすぎない、気品に満ちたリンゴ系の香りと、キレのある酸味が特徴で、現在も数多くの大吟醸に使用されています。
きょうかい10号酵母(小川酵母)
▶ 香りの傾向:メロン・バナナ系 / 酸が極めて少ない
茨城県の明利酒類にて小川知可良氏によって分離された酵母。東北地方を中心に「酸が少なく、きれいでサラリとしたお酒」を造る目的で爆発的に普及しました。吟醸香が非常に出やすく、雑味が少ないため、スッキリとした淡麗な味わいを目指す酒蔵に今でも愛用されています。
次回予告:ご当地の個性が光る「都道府県オリジナル酵母」!
このように、日本酒の安全な醸造とクオリティの基礎を築き上げてきた「きょうかい酵母」。しかし近年は、他県のお酒との差別化や「自県ならではのテロワール」を表現するため、各都道府県の試験場が独自の酵母を開発する動きが加速しています。
「フルーティー王国の山形KA酵母」「食中酒の極み・静岡酵母」「新進気鋭の高知酵母」など、次回【第2回】ではご当地の個性が爆発する「都道府県酵母」の魅力に迫ります。お楽しみに!





